dia-lag

ひとりで考える・書くことの限界を少しだけ押し広げるための装置としての交換日記、または遅い会話

交換日記を消す人

小学生でいる間、通算何冊の交換日記に参加したのだろう。

低学年の頃は、「ブルーなできごと」「〇〇ランキング」「みんなにしつもん」とか様々な枠が用意されている交換日記用のノートを使っていた。南京錠が付いていて、鍵を持っている参加者しか開けないようになっているノートなんかもあった。それが高学年になるにつれて、だんだん罫線のみの普通のノートを使うようになっていった。なんかそっちの方が大人っぽいぞと思い始めてそうなっていったような記憶があるが、今になって考えてみれば、だんだん文字を書いたり絵を描いたりする能力が発達してきて、自由度の高さを楽しめるようになってきたということだったんだろう。

かけもちなんて当たり前、次々に生まれては消えていった交換日記たち。生まれるきっかけはクラス替えだったり、みんなで雑貨屋に遊びに行ってたまたま見つけたかわいいノートだったり。本当に幼稚で申し訳なく恥ずかしい記憶ではあるが、特定のクラスメイトの悪口をこっそりと綴るために生まれた交換日記もあった。

では消えるときは? 交換日記がどうやって消えていくのか、わからない人にはわからないのかもしれない。でも私にはわかる。なぜかというと、当然、私が「消して」いたからだ。

生まれた当初は盛り上がる交換日記だが、徐々にみんな熱を失っていき、内容が雑になったり回すペースが遅くなってきたりするのが常だ。それでも中には毎回丁寧に書きすぐに回す律儀な子もいる。もちろんそれは私ではない。ページいっぱいに「なにもありませんでした!!!!!」とかなんとかでかい字で書いてやけっぱちに次に回す大胆な子もいる。これも私ではない。

前者にも後者にもなれない私がどうするかというと、交換日記を「消す」のだ。自分のところに回ってきてから数日は、書かなきゃ書かなきゃと思いながら過ごすが、そのうち「もういいか」と思う瞬間が訪れる。だってもう盛り上がってないし。みんなどうせめんどくさがってるし。そしてノートを机のいちばん深い引き出しの奥にしまう。いや、隠す。

もう盛り上がっていない交換日記だから、しばらく回ってこなくてもなかなかみんな気づかない。しかしある日、誰かが言う。「あの交換日記って今誰が持ってる?」。私は答える。「えー知らなーい。私回したよー」。ひとつの交換日記が消える瞬間である。

 

このdia-lagという交換日記は、システム上、私だけでなくメンバーなら誰でもブログという支持体ごと「消す」ことができる。でもブログの場合はノートの場合と違って、消えたことがみんなにわかってしまう。それでは不在という存在を後に残してしまうからダメだ。実体のあるノートの方がデータだけのブログよりも消しやすいなんておもしろいですね、というお話でした。