dia-lag

ひとりで考える・書くことの限界を少しだけ押し広げるための装置としての交換日記、または遅い会話

現地調達したりできなかったり

書きたい時に書くのがいちばん、と思っているので今日回ってきた交換日記を今日回す。これまでのところ、みんな自分のペースで書いてくれていていい感じなので、私が急に爆速で回したところで誰もプレッシャーに感じたりはしないだろう。急に速くなったり遅くなったり、それがマイペースというものだ。

 

今仕事で東京にいる。宿は新宿。今日は12時ごろに起き、先日友達と行ったごはんもビールもおいしいビアバーにひとりでランチを食べに行く。食後、近くにあったチェーンのカフェに入り、休憩したのちPCを開いて少し仕事をする。仕事に飽きてきたところで、以前東京に来た時Tinderを介して会って、東京に来たらまた会おうと言っていた人のことをふと思い出し、連絡してみる。すると仕事場が私のいたカフェの近所だということで、すぐ来てくれた。本当にすぐ近くにいたらしく、そのカフェにもよく来ているそうで、「位置情報を監視されてるのかと思った」とびっくりしていた。もちろん位置情報を監視してなどおらず、偶然だ。偶然といえば、その人はテレビ番組の制作会社でディレクターをやっており、私が幼少期から家族で毎回観ていたある番組のディレクターを今務めている。前回会って話していてこのことがわかったときは驚いたしテンションがだいぶ上がった。Tinderではけっこうすごいことがけっこう高い確率で起こる。前回よりも打ち解けた空気感でお互いの仕事のことなどを話し笑い合って、1時間ほどで店を出て別れた。その後、東京オペラシティ アートギャラリーまで歩き、千葉正也個展を観る。もともと好きな画家ではあったが、展示を観るのは初めて。生で観た作品はもちろん、展示構成も素晴らしく、終始「あー、好き、どストライクですこういうの!」と思いながら観ていた。私は「絵画でしかできないことをやっている」ということを強く感じられる絵画が好きで、千葉正也の作品はその最たるものだと思っている。彼の制作の手法は、ざっくり説明すると、まず木材や日用品などを使ってオブジェクトを作成し、それらを緻密に並べ、その並べられたモノたちを静物画として描く、というものだ。写実主義を突き詰めたような繊細な筆致、というわけではなく、近づいてみると筆の跡が見えたりもするような解像度なのに、布、ガラス、木材、液体などのテクスチャーがありありと伝わってくる。描かれているモノの中には紙や液晶に映る写真もあり、描いている作者の目の前に実在していたはずのモノたちよりそこが妙に鮮烈に浮かび上がっていたりするのもおもしろい。「絵画でしかできないこと」とさっき書いたが、千葉正也の作品の場合それは、「様々な異質なレイヤーをキャンバスの表面という一平面に力技で統合したとき何が起こるかを実験している」というところだ。レイヤーは物質的なものも概念的なものも両方。そしてさらに彼は描いた絵画を自作の木製のスタンドを使い3次元に縦横無尽に配置する。3次元と2次元の往復。なんかまとまらないのでちゃんとしたことは買った図録を読み込んでからまた書こうかな、書かないかな。とにかくいい展示だった。その後晩ごはんを食べて帰って、今。

 

エビカニちゃんの質問は、10日間の東京出張を控えた私にとってはかなりタイムリーだった。今回実際に持ってきた「おまじない」は2つあって、ひとつはukaのネイルオイル、もうひとつはカワウソの赤ちゃんのぬいぐるみ。ネイルオイルは、とても香りが好きなのと、夜寝る前に爪に塗るとすごく自分を大事にしているという感じがするので気に入っている。それだけでなく、重要なのはこれが恋人からのプレゼントだということだ。遠出をする時、だいたいのものは現地で買えるから別に忘れてもいい、という心持ちでいるのだが、そういう誰かの存在とか思い入れは現地調達できない。ぬいぐるみの方は先日ひとりで水族館に行った時に買ったもの。長い間ひとりでいる時には、顔のついている、生きているっぽさがあるものがそばにいてくれると慰められる。そういえば、子供の頃も毎晩枕元に置いて寝ていたいちばんお気に入りのテディベアを旅行に必ず連れて行っていたな。

 

今回は、推敲をほぼせずに思うままに書いたので、読みにくいかもしれない。でもそういうふうに文を書きたい気分だったからそうした。気分に従うのは気持ちがいい。

 

次はむぅむぅさんです。