dia-lag

ひとりで考える・書くことの限界を少しだけ押し広げるための装置としての交換日記、または遅い会話

流れる時は川や風を行く

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エビカニペカンナッツ近影


こんにちは。エビカニペカンナッツです。

早速ですが、みなさんの自我は、経験と記憶などの学習に、理性に基づいているでしょうか、それとも、ほぼ本能のまま生きているでしょうか。

後者だと言い切れる人はなかなか居ないんじゃなかろうか、人間には大きな脳があり、多かれ少なかれ理性によって自律して暮らしているはずではあります。社会性生物とは、一度組してみると抜け出すのが難しく、大変興味深いものです。

 これは社会性生物以外と暮らすカニの話です。

 

ひと月前に鳥を飼い始めた。

それは小さくて、軽く、薄茶色の羽の混じった白いフワフワだ。

迎え入れた時はまだ立つこともおぼつかず、手のひらの上でひねもす眠り、目が覚めてはエサをねだり、ぼさぼさの羽ととんでもない食欲の持ち主だった。

ひとつき経った今では、ひとりでモリモリとエサを食べ、部屋をぐるぐるとパトロールしては手のひらや肩に乗り、エサの好き嫌いを珍奇な声で高らかにさえずりながら自己主張している。

ぼくは大学時代、ヒヨコについて研究していた。

みんなの知っての通り、鳥ははじめにみたものを覚え、親としてついていき、エサをもらったり身を守ったりする。*1

ぼくはそれを比喩ではなく千回以上繰り返した。ヒヨコの甘香ばしい匂いを嗅ぎながら一時期を過ごし、鳥の学習記憶や本能について想いを馳せたことは豊かな時間だった。

 

そして最近のぼくは日々、鳥の良き隣人であるために信頼を勝ち得ようと試行錯誤している。

鳥はその小さな脳の中で何を考えて過ごしているのだろうか。

人間と価値観の大きく違う鳥たちは、脳の使い方も随分ちがう。

世間では記憶力がどうだと話題に上がる海馬も、ニワトリの中でどう使われているかはまだはっきりしていない。*2

その上鳥は阿呆の象徴として度々風評被害さえ受ける。

覚えたことをすぐに忘れる、だとか、エサと石の区別がつかずひたすら突っつき続ける、だとか。部分的に正しかったり習性上仕方のないことであったり、全くそんなことはないようなこと、様々、とはいえやはり、みな身近な他者である“鳥”については興味津々なのである。

(好意的な解釈を含む)*3

 

暮らす限り鳥は非常に感情豊かで、臆病者のわりに好奇心が強く、食べ物には好き嫌いがあり、名前を呼ばれるとビューンと飛んでくる。

本能、と呼ばれるDNAにプログラムされたこと以上の行動を次々に示してくれるのだ。

小鳥は毎日すこしずつ学習し、はじめは怯えていたブランコには喜んで乗るようになり、まずそうな健康的なエサはばらまき、人間の手に求愛する。

 

この他者は、間違いなく合理やDNAでは解決できない後天的な学習によって個性を形作っている。その思考の軌跡はもはや理性という他ない。彼らには理性があるのだ。

 

ただ求愛行動をとることは本能に変わりなく、見覚えのないものに怯えるのも飛べる生き物と暮らしてなくても空を飛ぶのも、本能から来る行動だ。

本能と理性の境目はどこだろう、個性や自我といった多様性はどのように獲得していくのだろう。身近な生き物の成長は新しい視点を与えてくれる。

代わって皆さんはどうでしょう。これを読んでいるのはおおむね人間かとは思いますが、自分の理性と本能の境についてどれくらい考えたことがありますか。

ぼくは暇さえあれば自分の思考の中で、他者と代替可能な部分を探しています。

ぼくがぼくでなくても同じ思考に至る、いわば本能の部分を探って面白がっています。

 

それは理性と本能の境、そのグラデーションの混ざり、すなわち個性/自己を見つけるのに関心がある時期だからでしょうか。鳥と人間との種族に基づくような大きな価値観の違いだけでなく、人間同士でも価値観は些細な相違、あるいは大差あることを我々は、ぼくは、経験の上で知っています。

経験、環境、思考、そして本能が混ざり合って個人という大きなグラデーションを形成している、それの共通項や相違点を見つけることが他者とのコミュニケーションの面白さだとぼくは思っています。

コミュニケーションの純度を上げる、“遅い会話”を通して、ぼくは互いのグラデーションを垣間見れることを期待しています。

 

*1:正しくは条件があり、はじめにみたもの、というわけではないがほぼその通りである。ローレンツは偉大だ

*2:薄くのっぺりとした膜のようなその部位は、とりあえず親の認識にはさほど関わっていないらしい

*3:前述の学習行為についてはかなり長期的な記憶となるし、鳥は種類によって消化のために石を必要としたり、危険物の学習についてもかなり強力だ。大変に賢く、ぼくは自鳥に怯えられないよう慎重に、恭しく、丁寧に暮らす必要がある。