【2021.3.28-4.2】たちあがろうとしてもすべてがわたしで大地がない*1
様々な異質なレイヤーをキャンバスの表面という一平面に力技で統合した*e ものとして立ち上げられる私や私の知る世界では、誰と誰が文通しているのか全くわからず*c 他者が私に介入*a して無理矢理書き出*d されたみたいなおまじない*b がかかっていて、それは一見個人の考えを無効化*b するようでいるのだけど、私たちは毎日*c 誰かと顔を合わせ*c て物語にひた*c ってTinderを介して会っ*e てあの子との秘密の会話*c をして他者との交流*b に対する反応で生じる*a 細切れのあれもこれもが山積みになって*d それらを*d パッチワークのようにつなぎ合わせ*d てようやく私が私であってしまう*a 。ときどき扱いに困ってしまう*d 他者という存在そしてそれとの関わり合い*2。私が私であることの責任*a。つまらない圧力はほどよく捨ててしまいたい。自分が自分の予想通りの動きをする*c ことの枠組みから抜け出せないような嫌な気持ち*c を緩ませてあげるための*a 他人の存在*b 。
私*a はぼく*b は私*c は自分*d は私*e はみんな*e に安直に質問を投げかける*b。あなた*c の好き*c を聞いてみたい*c 。
春。うれしいなあ。*c 暖かい陽射しが感じられ、風が気持ちいい場所*d。そこで新しいものや出会いを手にしたい。*d
前置きが長くなりました。*c あるテクストと接するとき、読み手はそこに表現主体を読み取らずにはいられない*3。私*a やぼく*b や私*c や自分*d や私*e と語る主体がいて、語る主体を客体として書き出す主体がいる。書き出す主体の身体*a は受け手には見えなくて、友人*c や近しい身内*b であっても文章が書かれた瞬間の相手は想像することが精一杯。文章はまるで恋人たちの代理*d 人。3次元と2次元の往復*e をする皆さん*d からこぼれ落ちていくあれやこれを忘れないでいて欲しい。 *d ここでいろんなあなたが書いたいろんな私を並べ替えて配置する私は一体どこのだれ? 距離と「時差」のネットワーク(私たちのヨーロッパ地図に同時に灯っているすべての赤い点々)を通じて広がっている、いわゆる「直接的な」コミュニケーション(電話などのこと、それをテレパシーと呼んでほしい)の広大な地図を想像してごらん(そこで迷子になりながら、この地図を一緒に読んでみたい)*4。他人の存在を意識した*b り、他人に語りかけ*b たり、ちょっと日記書いてみ*c たり、思うままに書い*e たり、何度も催促されてやっと*c 書いたり、即興の気分に従う*e ときに生じる重力*a は、だいぶ間が空いてしまっ*c たあなたに届く頃には自然消滅*d してしまう。届いてない*c 。手紙が失われ*c てしまうのはいつものこと。いつだってただしい宛先には届かない。そうやって自己同一的な主体観は解体*a されていく。でも、だからこそ、写真を撮っておいて良かった。*d うれしい*c 、きれい*c、わくわく*c 、つらい*c、悲し*dい、照れ*b る、おもしろい*e 、子どもたちがきゃあきゃあ言いながら遊*c ぶようないろんな景色*c をピン留めして。*c 近づいてみると筆の跡が見えたりもするような解像度なのに*e 、不可思議な類似*a がふわふわと*d 縁どられて象*a られる。そんな私をつなぎ*d 留め*c る名前。誰かがあなたの名前を呼びかける。
niinaさん*a 、エビカニペカンナッツさん*a
むーさん*b 、niinaさん*b
エビカニさん*c
しろくまさん*d 、エビカニペカンナッツさん*d 、niinaさん!*d
エビカニちゃん*e 、むぅむぅさん*e
私もまた誰かに呼びかける。
「先日のanamoto*d さんの日記*abcde はとても読み応えがあり、それに対する一風変わった応答*b としてこの日記*abcde は書かれています。不安だ*d 」
わたしにとって大切で思い入れ*e のある固有名詞*b がいくつかある*5。ナガノさん*b 。よしながふみ*c 。CAFELATORY*c 。Tinder*e 。東京オペラシティ アートギャラリー*e 。千葉正也*e 。uka*e 。他人の匂いがす(中略)他人の匂いがする!*6 染み付いてしまった私の匂い*a を他者が書き換えていく*a 。誰かの存在*e は現地調達できな*e くて、いくつものオブジェクト*e が恣意的に選択されて、並べ*e られて、並べられたモノたちを静物画として描*e いたみたいに浮かびあがる私は完結したノート*d にも似ている。すべてが仮構されたものでしかなく、私は私以外のひとが使用した言葉に支え*b られている。私が生まれる以前から存在*b していた言葉のあとをたどっています。独自のものは何もないかもしれません。*e 複数*a の人間のあいだを爆速で回*e る言葉*b のなかには複数*a の声が侵入しています。複数の声が私の骨*a になっています。
たくさんたくさん複製してそこらじゅうに積もって*c いる本の塔のてっぺんでは安心して目を閉じて呼吸して*d いられる。限られたスーツケース*b はもうぱんぱんだからたまには重荷*a を下ろして中身を入れ替えたりします。馴染まない*a こともありますが普段とは異なる回路で*a 互いを労う場面も発生する*d ことでしょう。そこでは家族*e を拡張するように*a 曖昧な*d 生きているっぽさがある*e 。人間は、おたがい、死者と語らう死者なのだということをつい忘れる*7。過去の私は永遠に私を痛めつける存在でいてほしい*8。10年をゆうに超える*b 20年経った今*c 、自分で驚きです。*c
「あなたが好きな場所はどこですか?」*c
アンサー*d :紙のうえ、文字のなか
言葉の*a 群れに折りたたまれて体験する私は世界と同期する。同期して、分割される。投函*cd した手紙は誤った宛先にうっかり届いて、もしくは私も誤って受け取って、それでもまあいいかってあとから正しかったことに訂正されることもある。そうやってなんとなく引き受けたり*e 引き受けなかったり*e して分割された体験がまた連*d なって束ねられていく。そんなイメージ*c 。天気予報が示す最高気温がどんどん高まっていく境目みたいに揺れていたい*abcde 。
*1:最果タヒ『グッドモーニング』(新潮社、二〇一七年)収録「会話切断ノート」から引用。また、同作には「日記は考えるための道具でしかありません」という一文があり、本稿はその一文に依拠しながら記述が試みられている。考えるための道具として日記を書くにあたり、本稿では「ユリイカ2017年6月号 特集・最果タヒ」に掲載された山本浩貴+h「空白の料理 わたしの部屋の配置によって染み込む死への温もりと、花畑を何重にもつみかさねたた実験場で見られる新たな系の制作」における制作方法を模倣している。同作は、「二〇一七年五月現在発表されている最果タヒ名義の詩集、ならびに対話から引用した文字列(ゴシックで示す)を恣意的に並べることで構成された小説=批評であ」(同作註)り、本稿はそれに倣い、『dia-lag』内で書かれた以下の「日記」から文字列を引用しながら新たな「日記」の構成を試みた。また、以下から引用した箇所は太字で示し、引用元は各アルファベットで示す。その他、一般的な「日記」としての体裁を保つために最近読んだいくつかのテキストからの引用も組み込んでいるが、それらは個別に注釈を付している。
(a)むぅむぅ「【2021.1.9-1.23】私が(どうしようもなく)私であってしまうこの身体を滲ませていくための手つき - dia-lag」(2021.1.23)
(b)エビカニペカンナッツ「おまじないが精神と生活を支えていく - dia-lag」(2021.2.17)
(c)しろくま「うれしい気持ちをピン留めして。 - dia-lag」(2021.3.10)
(d)anamoto「扱いに困る / 完結した交換ノート / 消えた手紙 - dia-lag」(2021.3.17)
(e)niina「現地調達したりできなかったり - dia-lag」(2021.3.17)
(最終閲覧日:二〇二一年三月二十八日)
*2:最果タヒ『グッドモーニング』(前掲)収録「会話切断ノート」から引用
*3:いぬのせなか座「【講演記録】第2回「主観性の蠢きとその宿――呪いの多重的配置を起動させる抽象的な装置としての音/身体/写生」(Part7)いぬのせなか座連続講座=言語表現を酷使する(ための)レイアウト|いぬのせなか座|note 」(最終閲覧日:二〇二一年三月二十八日)から引用
*4:ジャック・デリダ/訳・若森栄樹、大西雅一郎『絵葉書Ⅰ ソクラテスからフロイトへ、そしてその彼方』、水声社、二〇〇七年から引用
*5:筆者にとって思い入れのある固有名詞は「GARNET CROW」「かってに改蔵」「重力ピエロ」「BOOKOFF」「アメーバブログ」「七里圭」「円城塔」「東浩紀」などが挙げられる。
*6:『グッドモーニング』(前掲)収録「術後」から引用
*7:ホルヘ・ルイス・ボルヘス/訳・篠田一士『砂の本』、集英社、二〇一一年から引用