dia-lag

ひとりで考える・書くことの限界を少しだけ押し広げるための装置としての交換日記、または遅い会話

「活動」をやっていく

フリーランスで仕事をしていると、仕事と仕事以外の境目がだんだんわからなくなってくる。時間も場所も心持ちも、仕事と生活の区分けがなくなっていき、シームレスにつながっていく。私の場合は好きでやっていることと仕事の領域がわりと近いので、なおさらそうなる。それが別にストレスだとは思わないのだが、いきすぎて「仕事」から帰って来れなくなったらどうしようという不安がある。

仕事(労働)なんてものは本来はしなくてもいいはずで、現行の社会の仕組み上は基本的にしないと生きていけないのでしかたなくやっているものだ(本当に心からそう思っているかは怪しいが、それくらいに強く意識しなければプロテスタントの労働倫理的な「労働=善」みたいな使用者に都合の良い考え方に絡め取られてしまう、という恐れからそう思うようにしている)。そんな仕事(労働)に侵食され尽くしてしまうのだけは御免だ。休息や娯楽の時間があったとしても、それらを仕事(労働)に耐えるためのものとしてしかできないのであれば、それもまた仕事(労働)に侵食され尽くしている状態だと思う。

そこで(意識的にというよりは、気づいたらそうしていたのだが)、一昨年あたりから少しずつ仕事以外の「活動」を積極的に行なっている(むぅむぅさんの文集作りにはかなり影響を受けている)。このdia-logもそのひとつだ。特に今力を入れているのが、短歌。数年前から作り続けてきたのだが、昨年賞に応募するために50首の連作を作ったので、それをまとめて小さな歌集を作っている(制作過程の詳細はこちら→ nari2180.goat.me/KlOIwMLKw0 )。お金のためではなく、また単に娯楽的な遊びとも違う、私が私のやりたいことをやっている!という充実感がすごい。べつにがんばらなくてもいいことなのにがんばっちゃうのがおもしろい。

最初の方で「『仕事』から帰って来れなくなったらどうしようという不安がある」と書いたが、今は「『仕事』に帰って来れなくなったらどうしよう」という心配をした方がいいかもしれない。「活動」は楽しすぎるので。

 

次はむぅむぅさんです。