dia-lag

ひとりで考える・書くことの限界を少しだけ押し広げるための装置としての交換日記、または遅い会話

寂しさを塵に見立てて箒で散らす

どういう書き出しでいけばいいのか悩みに悩んで、結局それをそのまま書くことにしました。時々、書きたいことがあって、ブログの記事作成画面を開いたりするのですが、書き出しに悩んで一切筆をすすめられないまま、その画面を閉じることが多くあります。どこにも出力されないまま消えていくことのなんと多いことか……

 

それは少し寂しいことのようにも思うけれど、いちいち気に病んでいても仕方がない。そう考えて、寂しさを塵に見立て箒で散らすようなイメージをする。ほんの些細な塵だから、散らせば目につかなくなる。

 

そうやって、気持ちを平らかにすることを続けているのですが、それはあまり良くないことだという感じがしています。自分の気づきや感情をないがしろにしているような感じがするから。だけど私は自分のために何か成すための意思が弱い傾向にあるので、どうしても些細な塵を適当に散らして、掬い取る労力を惜しんでしまいがち……

 

そんな時に、niina さんがこの交換日記の企画に誘ってくれて、「ウワーッ!絶対やりたい!」と思ったのでした。不自由さや束縛を感じない、私が望むだけの強制力がそこにはあるような気がしたから。

 

「dia-lag」(ダイアラグ)はじめます に記載のあった

必ず他の日記に対して応答する必要はないし、雰囲気を寄せようともしなくていい。もちろんしてもいい。そんなゆるい影響しあい 

についても非常に楽しみです。

 

口頭やSNSでの会話って、ひとつひとつにリアクションや共感が必要なように感じてしまって、その意識からか人やコミュニティから遠く離れたくなることが時々あります。でも影響しあいたくないわけじゃないんです。人と共にあっても、影響しあっても、常に自由でありたい。そうすることで、些細な塵が形を成して、私は私を捨てることなく、ここに居られるのではないかと、そんな気がしています。